自然とわたしたちのくらしT

T 今日から、自然と私たちの暮らしについて考えていくことにします。
2学期に公害で少しやったけど、今日本の自然のようすが、昔に比べてずいぶん変わってきています。
だんだん悪い方へ。今、どんな問題があるのか、これから大きくなっていくみんなは、どんなことを考えていったらいいのか。
それを考えるために、まず「川」の問題を取り上げてみたいと思います。



上の表を見て、日本の川は、外国の川と比べて、どういう特徴があるか、見つけなさい。
佐夜子 日本に比べてアメリカは、高さが違う
C そうも言えへん
哲郎 日本の川に比べて、外国の川はな、上流から流れてくるのがなめらかでな、日本の川はな、阿部川などは、極端に一直線に流れている。
暢子 メコン川なんかと比べるとな、阿部川なんかは、すごう、急。
C 滝みたい。
力 あのな、日本の川はな、短いけど、アメリカの川は、長い。
T 日本の川は短いけど、急。  
他の人、それでいい?  
外国の川は、長さは日本の川よりはるかに長いけど、長い時間かけて流れてくる。  
日本の川は、短い距離で0メートルまで流れてくる 
どっちが、急?  
Cs 短い。  
ストーンと落ちてくる。  
T たれがが、阿部川なんか、滝みたい、なんていいましたがね、日本の川を見た外国人は、びっくりするそうです。  
日本の川は、外国人から見ると、滝のように見える。それくらい急なんです。  
裕幸 ほたら、メコン川は、日本人から見たらほとんど平らなんか?  
T そういうことでしょうね。こういう川なんか、日本人が見たら、流れているのか流れていないのか、わからないほど、ゆったりと流れているんでしょうね。  
 
さあ、そこで問題だ。日本の川は、外国の川にはない、こういう特徴がある。さあ、そこから、どんな問題がおこってくるか。  
外国の川でなら心配いらないが、日本の川では問題になってくることは……
Cs 洪水!
鉄砲水
明子 川が急やで、洪水がようおこる。
力 メコン川なんて、洪水おこらんのと違う
保 なんでえな、なだらかなほど洪水がようおこるん
ちがうの?
T うん。どちらも洪水はおこります。ただ、洪水が起こったときが問題なのね。
日本の川で洪水が起こった場合と、外国の川で洪水が起こった場合とでは、どういう違いがあるか。
保 メコン川なんかで、洪水が起こった場合はな、ほとんど流れてるか、流れてんかわからへんさかいな、上流から、じわじわと横に広がっていくけどな、日本の川はな、阿部川なんかやったらな、ものすごい勢いで水が押し寄せてくるさかいな、家なんか、ひとたまりもない。
T 今保の言ったことわかった。智美、なんて言ったの?
智美 メコン川だとかだったら、あんまり急じゃないさかいじわじわいくけど、阿部川なんかやったら、急やさかい、近くの家とか、いっぺんになくなる。
T わかる?大事なこと。   
日本人にとっては、洪水と言えば、家がおしながされる、人が死ぬ、そういうものすごい恐ろしいものですね。台風のあとなんかすごいね。  
ところが、外国の川の洪水は、確かに水があふれてくるんだけど、じわじわとくる。だから、じゅうぶん避難もできる。それから、むしろ洪水を喜んだんだ。なんでか、わかる?   
C ようけ水がくるでや。   
真ひと 肥えた土が洪水で運ばれてくるで。   
T 今真ひとの言ったことわかる?なぜ、洪水になると肥えた土が運ばれてくるの?真ひと、もう少し詳しく言って。   
Cs 山から落ちてくるで、   
真ひと 山の枯れ葉とか。   
T そう。山の土、というのは、木の葉が落ちてそれがくさって、どんどん積もる。そういうのを腐食土と言いますね。そういう栄養のたっぷり含んだ土が洪水の時はドウッと流されてきます。   
そういう土が下流の作物を作っている畑にひろがっていくわけです。   
大輔 ほんでも、せっかく作ったのがつぶれるで、損や。   
真ひと その時はつくらんようにしたらいいんや。
Cs なんで洪水が来る、てわかるん?
T 日本の気候と違ってね、アフリカなんかだと、雨季と乾季、雨が降るときと雨が降らないときとに分かれてしまうの。そういう国では、洪水が起こる時期もきまってるの。ほと、洪水のは間は、離れていて、洪水が肥えた土を運んでくれた後に作物の種をまいた。
そういうふうに洪水を喜んでいた。
ところが、日本ではそうはいかない。川は、おそろしいものだった。利根川なんか、「板東太郎」なんて名前がつくくらい、あばれんぼうだった。
では、昔の人々は、どうやって、こういうあばれ川の洪水をふせごうとしてきたか。
大輔 「ゲンとへいた」に書いたったんやけどな、川の曲がりくねった所に米俵を積んでいく。
T 「川は生きている」という本の中に、昔の人々がどんな工夫をしたか、書いてあります。その中で武田信玄のやったことが書いてある。
Cs (武田信玄の本を読んで知っている子が何人か
いて、口々にいつている。)

T ふつうの堤防は、川にそってずっと作っていくんでしょう。ところが、信玄は、わざと、間が切れている堤防を作った。 なぜ、こんなぶつぎれの堤防を作ったのでしょうか。  
智美 横に出るように?  
幸則 横に流れた水がまた、川に戻っていくように? 
T そう、その通り。なぜ、そんなことをしたの?  
Cs 威力を止めるように。  
真ひと 水の勢いを止めるの
大輔 ちょっとでも水の量を少なくするように。
哲郎 そこらの横のやつに水を当てて、勢いを止めてるの。
T うん、つまり、みんなが言ってることでいいんだけど。
信玄は、甲府の町を守るために、上流で水をあふれさせた。水の量がへれば、下流の町では洪水はおこらない。やがて、水がひいてくると、あふれていた水ももとの川にもどってくる。こうして、洪水をふせいだ。

もうひとり、加藤清正という人も、形はちがうけど、よく似た考えで洪水をふせいだ。やはり、途中で水をあふれさせて、下流へ流れない工夫をした。
つまり、決して川にさからわない。川があばれたければ、あばれさせる。自分たちの影響のないところで。そして、おとなしくさせて下流へ流す。
力 うまいなあ!

T それが、明治になってどう変わったか。
明治になって、洪水の防ぎ方が全く変わります。
外国でいろいろ学んで、外国流でやることにした。
信玄たちのような考えでは、上流には住めないですね。だけど、工業をおこしたりするためには、広い土地 がほしい。上流の土地も使いたい。
だから、そういうむだの多い方法よりも、やはり、きちっとがんじょうな堤防を川にそって上流まで作ることにした。そうすれば、上流の土地まで使える。   
真ひと でも失敗したんやろ。   
T ここに一つのデータがあります。利根川が、明治33年に堤防の工事を始めます。がっちりした堤防を作ろうとしました。その直前にあった大洪水(1秒間に3750立方メートルの流量)をもとにして設計しました。   
その結果どうなっていったか。   

明治33  工事始まる(3750立方メートルの流量に十分 耐えるもの)  
明治43  かつてない大洪水起こる (1秒間に7000立方メートル)   
        (計画修正(もっとがんじょうなものにする)   

昭和5 工事完成
     (全長186q。工事用土砂2億2000万立方メートル
│     *バナマ運河建設以上の量)
昭和22  1秒間に17000立方メートルという とてつもない大洪水起こる。

T 堤防をがんじょうにすればするほど、洪水がひどくなる。いったい、どうしてそんなことになるのか。
美豊子 じょうぶな堤防をつくると、水のいくところがせまくなるから、よけいひどくなる
哲郎 せもうなるとな、だんだん水の高さが高くなる
真人 堤防を高くすると、どこも水の逃げ場がないでそれだけ水の勢いが強くなる。
T 水の逃げ場がない。逃げ場は、一つだけある。
C 下。通路。
保 信玄の作ったのは、横にちゃんと水の逃げ場があるやん。ほやけど、こっちはコンクリートでかためたるさかい、どっこも水の逃げ場がないさかい、ほんさかい、一気に流れていくしかないさかい、どんどん水位が上がっていく。
T そう。   
江戸時代までのやり方は、川をなだめる。川にさからわない。   
ところが、明治からのやり方は、川を人間の力でおさえこもうとした。   
堤防によって川をおさえこもうとした。その結果は逃げ場をなくした水が一気に流れるようになった。
堤防をがんじょうにするほど、倍、その倍と洪水も大きくなってしまった。   
ここから、何を学んでほしいか、というと、自然と人間がつきあうとき、昔の日本人は非常にすばらしかった。決して自然に逆らわなかった。自然にしたがいながら、それを利用してきた。   
このことは、これからの暮らしを考えていく上でも大事なことだと思うんです。   
───チヤイム───────────────    
参考資料
富山和子 著 「川は生きている」(講談社)
「水と緑と土と」(中公新書)