子どもにも言い分がある


 合唱の練習で、4.5.6年の子どもたちを体育館に集めて指導していたときのこと。
みんな一生懸命歌っているのに、6年生のA君はふざけてまじめに歌っていなかった。
指導していた先生は注意して、指導を続けた。
2曲目の練習に入ったところで、また、みんな一生懸命歌っているのにA君が笑い声をあげた。
 指導していた先生は、たまりかねて、練習が終わったあと、A君を呼んで厳しく注意した。
 すると、A君は泣きながらふてくされたように体育館を飛び出していった。
 他の子が教室に戻ってもA君は戻ってこなかった。
 たまたまその学級の担任は出張で不在のため、私がA君をさがしに行くことになった。
下駄箱に上靴が残っていたので、家に帰ったのかもしれないと思い、A君の家に行くと、案の定A君が居た。
 「もうええんや!」とすねて奥に引っ込もうとするA君に、
 「家に帰るほどのことをするには、何か訳があったんやろ?何がかなんかったんや?先生に話してくれ。」と言って、玄関先へ連れ出し、話を聞いてみると、次のように言った。
「確かに、ぼく、初めあんまり歌う気がせんで、ふざけてたし、それは自分でもあかんと思う。でも、途中からやる気が出てきて、2曲目の時は一生懸命歌おうとしてたんや。そしたら、横からB君がおちょくって笑かしよったで、思わず笑ってしまったんや。ぼくは一生懸命やろうとしてたんや。」

いっしょに来ていた音楽の先生もそれを聞いて
「そうやったんか。ごめんね。」とA君に言われた。それだけのことで、A君はすっかり機嫌を直し学校に戻った。

 見かけは何ということをするんだろうと腹が立つようなことをする子どもも、必ず何かそれなりの訳を持っている。それを受け止めてやるところから出発しなければ、と改めて思うできごとだった。