学級崩壊ときゅうり作りの名人の話
 
 ある先生と、話をする機会があった。
 その学校でも、あるベテランの先生の学級が学級崩壊状態になっているという。 子どもたちが荒れ、授業を抜け出す子、いじめに苦しみ、転校を余儀なくされた子も出ているという。 話しながら、私は
「それって、ひとごとに思えないんや。自分も、年々、子どもたちとずれていくような気がしてこわいんや。」
といった。子どもの好きなアイドルの名前も知らないし、はやりの歌も覚えられない今の自分の正直な気持ちである。
 ところが、その先生いわく

「『子どもとずれてるんちがうかな?』って思える教師は、だいじょうぶですよ。子どもの気持ちを受け止めようとする柔軟さを持っているんだから。」
「結局、若いときに通用した『形』で押さえる手法を今もそのままあてはめて、思い通りにならないと子どもが悪いと考えてしまう堅さが問題なんですよ。学級崩壊って、子どもたちからつきつけられたリストラじゃないかなってこのごろ思ってるんです。」
と言う。

 そんな話をした次の日のこと。
 社会科で農家の仕事を見学させてもらうため、もう20年以上ハウスできゅうり栽培を続けておられる篤農家へおじゃました。

 収穫されたキュウリはどれも、まっすぐのびて形がいいので
「曲がったきゅうりは売れないそうですね。形を整えるために何か手を加えておられるのですか?」
とたずねると、
「いやあ、そんなことはしないね。風通しをよくしてね、日の光をたっぷり浴びさせて、気持ちよく育ててやれば、まがったキュウリなんてほとんどできませんわ。
 学校の先生かて同じと違いますか?。すなおで明るくていっしょにいると楽しいような先生のいる学校の子どもはやっぱりすなおに伸びていくんやろと思いますよ。」
 さらりとそんなふうに言われた。
 昨夜の友人の話を思い返しつつ、キュウリ作りに打ち込んでこられた篤農家の一言にこもる見事な教育論に私は深くうなずいたのだった。