初任の先生達に伝えたいこと 
~私自身の歩みから~
    
                                        市初任者研修会にて H20

 
 私は教師という仕事をして30年余り過ごしてきました。担任した子どもの総数は400人を超えます。でも、その子どもたちにどれだけのことをしてやれたかと振り返る時、本当に申し訳ない思いになります。先輩や各地の実践者の仕事をまねて、いろいろやってはきました。うまく行ったことは数えるほどしかなく、恥ずかしい失敗をいっぱいしてきました。そんな私ですので、えらそうなことは言えないのですが、ただ、自分の歩みの中で、これは確かだろうと言えることのいくつかをお話したいと思います。

(1) 子どもと一緒に歩き、小さな成功を喜び合うこと

 教師という仕事をこの一年体験してこられて、今、これまでのことを振り返ってみるとき、みなさんはどんな思いをお持ちでしょうか。
 子どもたちとの一日一日が楽しくて夢中に過ぎた一年だったという人。教師としてのスタートの一年が楽しかったという人は幸いです。そういう人はきっと、次はあんなことをやってみたい、こんな取り組みも、と次々と具体的な目標が見えてくるのではないでしょうか。その勢いに乗って進んでいかれればいい。
 逆に、厳しくつらい一年だったという人。これは更に幸いだったと私は思うのです。
 これだけ社会が歪んできている中では問題のない学校・学級というのはむしろ例外です。子ども・学級そして保護者の厳しい現実と直面するところからスタートしたということは、教師として大事な第一歩になったと思うのです。

 私の学級崩壊体験の話をします。
 私は山の分校でスタートを切り、特につらい経験もなく教師として楽しい日々を重ねておりました。主体的学習理論、教育工学、岸本ゆうじの百マス計算、その後、斎藤喜博の島小教育に触発されて仲間と授業研究にも取り組んだりしました。自分は教師としてがんばっている方だろうといううぬぼれた気持ちも持っていたように思います。そんなちっぽけな自尊心をずたずたにされたのが教師8年目のことでした。
 ある困難校と言われる小学校に転任し、6年生を担任することになりました。相担任はその学校の研究主任で斎藤喜博に直接指導を受けているというすごい先生でした。
 その先生から授業の指導案や資料を毎日のようにもらって、1学期は結構うまくやれていたのです。荒城の月の二部合唱もできるようになったりして、5年の時より楽しいと子どもたちも言ってくれていたのです。
 おかしくなったのは2学期からでした。1学期は自分の学級の中での取組だったのでよかったのですが、2学期になると、運動会、音楽会等、学年合同での取組が次々に出てきます。そうなると、学級間の子どもの違いが歴然として見えてしまうのです。
 何をやっても自分の学級の子のあらばかりが目立ってしまう。隣の学級に追いつこうとしてあせり、どうしても注意、叱責が増えてしまう。「もっとこうしろ」「そんなことではあかん。」と。
 そうして私と子どもたちの関係は見る見る切れていきました。「何で私だけ怒るのよ、あの子かてやってるやん」と指導が入らなくなり、軽い冗談のつもりで言ったことにもムキになってにらみ返してきたり。何よりつらかったのは、授業で子どもたちが沈黙してしまうようになってしまったことでした。冷たい学級崩壊と言ったらいいのでしょうか。3学期になって一層状況はひどくなり、卒業式の練習にも「したくない」と行かない子が出てきたりする始末。2月頃からはもうあと何日でこの子たちと離れられると指折り数えて待つという、ほんとうにつらい日々で、胃が痛くなったことなどなかった私ですが、キリキリと傷むようになりました。
 当然、卒業式も何の感慨もなく、終わったあともその子らを責めたい気持ちでいっぱいだったのですが、時間が立ち、少しずつ冷静になるにつれて、非はやはり自分の側にあったと思うようになりました。1学期の私は子どもたちと一緒に喜び合う関係でした。ところが2学期から強権的な指導者に変わってしまったのです。自分の指導力の貧弱さを棚に置いて、子どもたちの立つベースが隣と違っているのにの無理な注文ばかりしていたのです。隣の学級の子どもたちのように深い満足を与えてくれる指導を受けられない不満に加えて、無理な注文を押しつけられる不満を私にぶつけていたのです。
 その一年の挫折から私が学んだことは、「他と比べて子どもを見ることはやめよう。どんなに状況がひどくとも目の前の子どものありのままを受け入れ、そこから出発しよう。そして子どもと一緒に喜び合えるものを一つずつ創っていこう」ということでした。
 そんなスタンスで子どもと向き合うようになってからは、子どもとずれることも少なくなりました。

 「子どもと一緒に歩き、ちっちゃな成功を喜び合う」という教師の姿勢は子どもとの関係づくり、学級作りに決定的に重要だと思う事例をもう一つ挙げます。
 私と同じ職場で一年間一緒に仕事をしたある講師の先生の話です。
 その講師の先生は2年生を担任されました。この学年は1年の時、小1プロブレムという言葉どおりのすざまじい学年でした。学校で最も力のある二人の先生が担任をされたのですが4月5月は大変でした。授業している先生にぶら下がる、黒板に落書きする、机に足を乗せてふんぞりかえっている、そんな子があちこちにいるという状況でした。さすがにベテランの先生で一応はおさまっていったのですが、2年生になってまたはじけてしまいました。いつも教室の中の雑然とした雰囲気が廊下の外にまで響いているという状況で、加えて無理難題を言ってくる保護者に何時間も詰問されたりもして、1学期の終わりには「もう、2学期からは出てこれないかもしれません」と言われてしまいました。
 ずいぶん心配していたのですが、2学期何とか出てこられました。そして、2ヶ月ほどした11月頃のある昼休み、ふと外を見たらその先生の学級の子どもたち全員と先生が楽しそうに「だるまさんが転んだ」をやっている姿を見かけました。あれ?1学期と違う、と思いました。そしてしばらくしてその学級のかさこじぞうの研究授業がありました。その授業を見てびっくりしてしまいました。1学期教科書も開けず友達にちょっかい出しに行っていた子が一生懸命音読しているし、友達の発表なんて聞きもしなかった子どもたちが穏やかに聴き合っているのです。
 その先生に「どんなことをしてきたの?」と尋ねたら、こんなふうに言われました。
「2学期の始め、もういちどゼロからやり直してみよう。そして、どんなにちっぽけでもいいから子どもたちとできたことを喜び合えることを創ろうと思った。全員で一つのお話を最後まで斉読できた、たったそれだけのことが嬉しかった。授業からはみ出ている子には「あんたと一緒に勉強したいんや」と自分の気持ちを思い切りその子にぶつけた。そしたらそこから変わってきた。」
 教師をやめたいと思うぐらい追いつめられた中で逆に教師としての仕事が何か見えてくる、ということがあるのです。

(2) 一人ひとりに思いをかけること

 今、パッと自分の学級の子どもたちの姿を浮かべてみてください。どんな子が一番に浮かんできますか?
おそらく、手がかかる子、いわゆる問題児が出てくるでしょうね。
それから、授業中活発に発言する子、体育の時間や休み時間に大将になって動いている子が出てくるでしょう。
でも、いわゆるふつうの子。指示には一応従うし、羽目も外さない。でも授業であまり発言しないし、活動の中でもあまり目立たない。そういう子が実は教師から一番遠い存在なのです。
 こんなできごとがありました。
 ある年の5月頃のこと、勤務していた学校で困ったいたずらが続くという事件がありました。学校の前庭のプランターや花の鉢が夜の間にひっくり返されているのです。
決まった曜日の夜にそれが起きるのです。それで、いたずらするやつの現場を取り押さえようということで職員室に泊まりこんで見張っていたところ、二人の子どもの姿が現れました。それで飛び出していって追いかけ、捕まえてみたら、それは、私が5.6年を担任して、今は中学生になっている子どもでした。その子たちは、決してワルではなく、ごくふつうの何の問題もない子だったので、私はどうしても解せませんでした。
 中学校の先生がその子たちの事情聴取をしてくださいました。そのときに言った二人の言葉は、「ぼくらはほっとかれてる。」だったのです。
「中学校の先生は、部活や生徒会で活躍する子はちやほやする。授業に出ないで暴れてるやつも先生は相手している。でも、ぼくらみたいにふつうの者はほっとかれてる。ぼくらかてもっと声かけてほしいのに」
 自分たちの存在を認めてもらえないいらだちを塾帰りのいたずらでぶちまけていたのでした。今なら校舎のガラスを割っているのかもしれません。
 そんなふうに、特に表立って表現しない子も、内面にいろんな感情を秘めているのです。むしろ、そういう子ほど強烈な願望を持っているといっていいもしれません。高校生あたりになってとんでもない事件を起こす子が小・中学校時代はおとなしく目立たない存在だったという話はよくあります。教師に目をかけてもらいたがっているのです。

(3)いつも『問題は自分の側にある』と受け止めること

 皆さんに一つ質問します。これまでに自分の授業をビデオに撮って分析してみた、という先生は何人ぐらいおられますか?
 先輩から、「自分の授業記録をおこすのが一番の勉強だ」と言われ、初めて自分の授業を記録にとったのが教師3年目のことでした。
 私は自分の授業記録を起こそうとしてテープを聞いて、10分と聞いていられず、テープレコーダーを放り出してしまいました。早口で分かりにくい説明をくどくどとこどもたちにしている自分自身が恥ずかしくてとても聞き続けられなかったのです。
 授業記録を起こしてみろ、と言われた先輩は、時々私の授業も見に来てくれました。見に来てくれたというより、勝手に教室に入ってくる、といった方が正しいかもしれません。いきなり教室に入ってきて、じろっと5分ぐらい見て出て行く。そして私が職員室に戻ると、「おまえの声、子どもの頭の上通り越して後ろの壁に当たってるぞ」とか「何で動物園の熊みたいに前でうろうろするんや。」
「子どもがいっぱいいいことを出してるのに、全部逃がしてるなあ」などとずばっと言われるのです。
 その時は言われていることがよく分からないのですが、実際に授業記録を起こしてみると、全くそのとおりなのです。
 そんな訳で、自分の授業をテープやビデオに撮り、その記録を起こすということを担任の間ずっと続けてきました。その中で、だんだん子どもが見えるようになり、子どものきらっと輝く感性のようなものも拾えるようになりました。
 例えば、四年生の国語の教材に草野心平の「春の歌」があります。
 その授業をしたとき、「カエルが二匹いる」と発言した子がいました。
ほっ、ほってうれしさがむくっ、むくってこみあげてくるんだって読んでくる子もいました。
 そういう柔らかな感性を受け止め、豊かに引き出せるかどうか、それは教師の力です
 校内研究会などに参加させていただくとよく、「うちの子はきちんと話す力が弱くて」「話が聞けない」「積極的に発言できないのが課題だ」などとという教師の言葉を聞きます。
そんな話を聞く度、それはほんとに子どもの側だけの問題なのか、と思うのです。
 子どもの学校生活の大半は授業です。その授業の時間が心地よいもの、自分の力を発揮できるものであるかどうかは、単に学力だけの問題ではなく、人間性全体に関わるものだと思うのです。
 学級が荒れたり、沈んでいくのは、多くの場合、子どもたちが授業で満足できない欲求不満がその原因なのです。
 自分の授業を磨くために、せめて月に1回ぐらいは自分の授業記録を起こすことをぜひおすすめします。

(4) 子どもから学ぶ教師でありたい

 何の力もない私が、少しはましなことができる教師になれたのは、「できない子」「問題児」と関わっていく中で変われたのかなと、振り返って今思います。
 体育で、跳び箱が跳べない子がたいてい何人かいます。鉄棒の前回りができない子がいます。泳げない子がいます。どうしたら跳べるようにしてやれるのだろう、泳げるようにしてやれるのだろうっていろいろやっているうちに発見できることがあります。
 例えば、跳び箱の開脚跳び。跳べない子は最後のところが不安なんですね。跳び箱を超えたあとがひっくり返ってしまうのではないか、たたきつきけられるのではないかと。だとすれば、降り方をまず教える。そして、降り方が分かれば、安心して踏み切れる。そういう指導の手順が見えてきました。 水泳で言えば、顔をつけるのも怖い、水に入るのもこわいという子をどうやったら泳げるようにしてやれるのか。あれこれやるうち、自分自身泳ぎは下手ですが、10時間あれば、どんな子でも泳げるようにしてやれるぞって、確信が持てるようになりました。
 全く顔がつけられなかった子が初めてふしうきできて、「先生ありがとう」って言ってくれたり、泳げなかった子が25m泳げて、クラスみんなが「やったなあ!」って喜び合っている姿を見たとき、教師やっててよかったなあって思うんです。

 人間というものの実像を見る目を深めてくれたのも子どもでした。
 ある学校で3年を担任したとき、クラスにM君という子がいました。喫煙、万引き、不法侵入と、いろんな問題行動を起こすたいへんな子だと担任する前聞いていました。そのとおり、4月からいろんなことをやりました。でも、ふとある日の休み時間、M君が教室の学級文庫から絵本を取り出して読んでいる姿を見かけました。食い入るように読んでいる姿に引き込まれて、そのまま廊下からM君を見ていました。やがて読み終えたM君がほーっとため息をついてたまたま隣にいた女の子に、「この本、かわいそうやで」って言うのです。読んでいたのは「かわいそうなぞう」でした。
いつもとげとげした姿しか見せないM君の中にこんなすなおなやさしい心があるということが私の驚きでした。以来、そういう目で見ているとけっこう「いいな」って思う場面が見えてくるのです。
草むしりのとき、M君は他の子がプラプラしている中で黙々と草むしりを続けていました。「すごいな」とほめると、「いつも家でやってるもん」といいます。M君の家は父子家庭でしかも、お父さんは夜スナックの経営でいないのです。一人で家にいるさびしさ、家の仕事も自分でやらねばならない厳しさ、そんな環境の中で生きているということを知りました。
 そういう一人ひとりの実像に触れる中で私の子どもを見る目も広がっていったように思います。
 教師は子どもを育てるのが仕事ではあるけれど、その教師としての自分を育ててくれるのも子どもなのです。